現実
現実の方が面白いんだ。
島田修三
後藤由紀恵『冷えゆく耳』の批評会にて。島田さんが言うには、後藤さんが祖母の介護の歌を詠み始めたのは、この<現実を歌え>という島田さんの強烈な指針があったためだという。 一人の歌人が誰に師事するか、それは決定的なことなのである。
ぬぐのぬぐの呪文のように唱えては紙パンツぬがせる朝の儀式ぞ
海を産んだような顔をして祖母は眠る 春の真昼を晩年として
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現実の方が面白いんだ。
島田修三
後藤由紀恵『冷えゆく耳』の批評会にて。島田さんが言うには、後藤さんが祖母の介護の歌を詠み始めたのは、この<現実を歌え>という島田さんの強烈な指針があったためだという。 一人の歌人が誰に師事するか、それは決定的なことなのである。
ぬぐのぬぐの呪文のように唱えては紙パンツぬがせる朝の儀式ぞ
海を産んだような顔をして祖母は眠る 春の真昼を晩年として
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この場合、プロであるということは、 短歌を、短歌以外のすべての価値より優先してみずからの実人生の上に位置づける、そのような生き方の選択のことなのである。
近藤芳美
『[短歌と人生]語録 作歌机辺私記』 (砂子屋書房)
プロとは、独自の詩歌世界を形成している、あるいは詩歌に精通しているといった範疇で語られるべきではない。ましてや金銭的報酬に換算する次元のことではない。
プロであるとは、歌人であるとは、生き方の問題なのである。改めて自らの作歌の原点を厳しく問われた思いである。
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わたしはかつて、わたしたちの「未来」を、短歌作者としてのプロの集団と思っていると言ったことがある。
近藤芳美 『[短歌と人生]語録』 (砂子屋書房2005.5)
本著、冒頭の言葉である。短歌結社「未来」は、ただのたのしみ、ただの勉強の場所ではない。「わたしにはそうした人らに割く人生の余裕などはない」と言い放つ。
プロとは何か。果たして結社はプロの集団か。
「「未来」会員で、わたしの歌集もほとんど持っていない人がいるようである」と芳美は嘆く。
◆
今日届いた、「未来」6月号で、近藤先生の選歌終了が告知された。
寂しくてしかたがない。
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「さよう、短歌は千個の穴である。」
坂井修一
(角川「短歌」2005年6月号・歌壇時評「映像文化と短歌」)
「一首の短歌は、DVDの上では、千個程度の穴の列にすぎない」という。DVD一枚に短歌というジャンル丸ごと入ってしまうとも。
第二芸術論まで、この詩型の短さが糾弾されてきたのだが、その短さが、今、見直されているのだ。
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