2006年10月 4日 (水)

『七月の心臓』批評会のお知らせ

兵庫ユカさん第一歌集の批評会です!

第二回歌葉新人賞で次席となった「七月の心臓」が収録されています。


ぜひ、お越しください。

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◆◇ 兵庫ユカ第一歌集『七月の心臓』批評会 ◇◆

【日時】11月12日(日)13:30~17:00(開場・受付開始 13:00)

【会場】 ルノアールマイスペース渋谷パルコ横店(渋谷駅ハチ公口より徒歩10分)
 東京都渋谷区宇田川町4-3興和ビルB1 tel 03-3770-1980      
 http://www.ginza-renoir.co.jp/renoir/041.htm

【パネリスト】大辻隆弘、川野里子、黒瀬珂瀾、斉藤斎藤
       司会:佐藤りえ
 
【会費】批評会 1500円 
 *終了後、近隣にて懇親会(会費4500円程度)を予定しております。
  あわせてご参加ください。

【発起人】松平盟子、藤原龍一郎、加藤治郎、穂村弘、荻原裕幸

申込/問合せ先:『七月の心臓』批評会実行委員会(斉藤斎藤)
  shichigatsunovember@yahoo.co.jp

  <準備の都合上、11/8までにお申し込みください>

*批評会告知ページURL(コピペ推奨)
http://www.d3.dion.ne.jp/~y_hyogo/shichigatsukokuchi.html

*著者サイト
http://www.d3.dion.ne.jp/~y_hyogo/

*歌集販売ページ(BookPark・歌葉)
http://www.bookpark.ne.jp/cm/utnh/detail.asp?select_id=52

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『七月の心臓』著者自選五首

オルガンが売られたあとの教会に春は溜まったままなのだろう

鳩尾に電話をのせて待っている水なのかふねなのかおまえは

アヲハタのジャムの小瓶の棒磁石だれの中にも聖域はある

自転車を盗まれたことないひとの語彙CDがくるくる回る

きっと血のように栞を垂らしてるあなたに貸したままのあの本

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2006年7月24日 (月)

短歌研究新人賞速報

今年の短歌研究新人賞(第49回)は、野口あや子さんに決まった。去年の次席作家。19歳である。

今年の6月に「未来」に入会(現在「幻桃」「未来」に所属)。彗星集のメンバーで、6月の歌会で初めてお会いした。



野口あや子さんは、寺山修司以来の10代の受賞者である。

ふと、紀野恵の登場のときを思い起こした。

何かが動き出した。

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2006年5月18日 (木)

カミーユ・クローデルに捧ぐ

最新作です。ほぼ同じ時期に詠んだ作品です。

「歌壇」6月号 「トーク」20首

  この夜は額に細い抽斗があるようでまた探す消しゴム

  うすべにのゼリーは皿に撓みつつあなたの顔はあなたに戻る

  日本語の棺がならぶ歌集にてまっぴらごめん雨は呟く

「現代短歌雁」62号(2006.5) 「ラバー」12首

 愛人でいいわけなくて風色のマフラーのなか息をしている

 絨毯にとんこつこぼすきらきらと喪うものも得るものもない 

「短歌研究」6月号 「シャクンタラー」30首

 カミーユ・クローデルに捧げました。

 その顔はわたくしですか(冬でしょう)そうですそれは夜明けなのです

 弟は鏡の裏の錆をいうそれはわたしのとおい砂浜

 

Photo

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2006年1月23日 (月)

「短歌研究」作品季評

「短歌研究」2006年2月号の「作品季評」に、「夏、いたるところに」(「短歌」2005年9月号)が取り上げられた。有り難いことである。大きな指針をいただいた思いである。

 丸めたらかたつむりにもなるだろうきみの手紙の意地っぱり、ちっ

・こういう若者っぽい歌が随分多かったけれども、彼も四十代半ばに入ってきてるとすれば、こういう表現は少しひっこめた方がいいんじゃないかな(前川佐重郎さん)

 夏の死の一行のためわたくしは凍った音符を器に鳴らす

・一行の詩としても非常にすっと入ってくる。加藤君らしい感性がよく出ていて、オノマトペを使った歌よりも、こういう歌に彼のよさがあると思った(前川佐重郎さん)

 詩集から付箋をはがす明け方のその一枚の蜻蛉の羽

・こういうセンチメンタルな洒落た表現が、この人に合うんだよね。女性的ともいえる繊細な美意識がちらっとでるんだ(佐佐木幸綱さん)

 クーラーの水のこぼれるろろろろと少女の舌はようしゃなかった

・官能的なところを幼児っぽく出すんですね(佐伯裕子さん)

 りんしゃんとん真夏の夜のあんずあめひかるところにあなたはいない

 うなぞこの潜水艦のスクリューに近寄る無数の顔面がある

 いんいちがいちいんにがに陰惨な果実の箱はバスの座席に

 絵葉書は空の方から燃えてゆき真昼の軍靴六足と猫

 

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2005年7月30日 (土)

残したい秀歌 (NHK短歌)

亡き祖母の時計はめれば秒針は雪野をあゆむごとく動けり

栗木京子『夏のうしろ』

  おじいさんの古時計という歌がありましたが、こちらは、おばあさんの腕時計ですね。時計をはめたら、動き出したんだというニュアンスがあるように思います。あるいは秒針の動きに気づいたということでしょう。チッチッチッとゆっくり動いている。お祖母さんの時間がふと、今の自分の時間に重なったんですね。

唇をすべらせてふくハモニカのあるときは剃刀の香りして

加藤治郎『ニュー・エクリプス』

今この現在が

悪夢に変わる。

春の夜にわが思ふなりわかき日のからくれなゐや悲しかりける

前川佐美雄『大和』

  韻律の強さが印象に残ります。
  五行に表記されると、よくわかりますが、わが思ふ、わかき、の「わ」、からくれなゐ、かなし、の「か」ですね。この畳みかける音に迫力があります。
  昭和十四年、三十代半ばの作品。この「わかき日」は、二十代の日々、まだ、生々しいんですね。それを「からくれなゐ」という濃い紅色、鮮烈な色彩に託した。それは、シュールレアリスムという短歌革新の痛切な日々であった。

戦争のたびに砂鉄をしたたらす暗き乳房のために祈るも

塚本邦雄『水葬物語』

 一九五一年、昭和二十六年に刊行された『水葬物語』に収録。時代ということでは、第二次世界大戦と深く関わりながら普遍的な戦争イメージに到達しています。滴る砂鉄が死を暗示する。美しくて陰惨な像ですね。自らを滅ぼす生命の比喩として乳房が危うい美を湛えています。
 塚本邦雄さんは、つい先頃、二〇〇五年の六月に亡くなられました。戦後の前衛短歌をリードした歌人です。〈反写実の鬼〉、盟友岡井隆さんはそう呼びました。ありのままの私の日々の思いを歌にするという写実の立場にNOをつきつけたわけです。
「もともと短歌という定型短詩に、幻を見る以外の何の使命があろう」と高らかに宣言しました。メタファーの導入、韻律の革新など様々な功績がありますが、この「幻を見る」が塚本短歌のコアだと思います。

空が美しいだけでも生きてゐられると子に言ひし日ありき子の在りし日に

五島美代子『母の歌集』

 長女は二十三歳で亡くなりました。大学生だった。歌はこの厳粛な事実と切り離せません。かつて子どもに言った言葉を思い出している。空が美しいだけでも生きていられる、その言葉を今は自分に向けているのです。

食卓のむかうは若き妻の川ふしぎな魚の釣り上げらるる

岡井隆『E/T』

  二〇〇一年刊行。『水葬物語』からちょうど五十年後です。
  食卓の向こうという、届きそうで届かない所に、若い妻の世界がある。ふしぎな魚って何でしょう。ありふれた日常の中で、なにかを見つけて喜んでいるのでしょう。「らるる」という語感がよく、魚がぴちぴち跳ねている感じも出ている。夫である作者には、その妻の世界がうまくつかめない。それを「ふしぎな魚」というメタファーに託したんですね。淡い距離を感じ、それでいて、そういう妻の姿をやすらかに見守っているわけです。

  与謝野晶子の『みだれ髪』、あるいは正岡子規以来、二十世紀の短歌は〈私〉を軸に動いてきた。その中で歌人たちは、自己肯定や自己否定の連鎖を断ち切って、どう作品を広い世界に解放できるか、考えた。もはや、前衛短歌のように架空の〈私〉を歌うことでは満足できない。
  極めて、私に近づきながら、私を消していくという方法があるのではないか。それは多くの読者の、私になりうるのではないか。
  これが二十一世紀の初めに岡井隆が提示したビジョンである。

 秀歌とは、歌の究極の姿である。それを究めることが歌人の使命であった。
  近・現代短歌は、秀歌を超える価値があるという地点から始まった。それは人間の表現ということである。歌を透してその作者の生命を見ること、現実に生きて居る人間自体をそのままに打出し得る歌、が求められた。韻律がいい、美しいイメージが浮かぶ、といった一首の内側の閉じられた世界では、秀歌は語り得ないということである。
  いま、人間から、さらに時代、社会へと秀歌の軸は動いている。時代に深く関わり、また一つの時代の精神史を刻んだ歌が秀歌である。塚本邦雄の戦争という主題、そして「幻を見る」というビジョン、岡井隆の「私を消す」というモチーフ、それぞれ時代と深くコミットしている。

(加藤ノートより)

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