2011年5月 2日 (月)

My years with Jstar

20代後半から30代前半にかけて、富士ゼロックスのSEをやっていた。JStarのSEである。JStar は、1973年にXEROXパロアルト研究所で開発された Alto Computerをもとに開発された。

驚くべきことに、Alto Computerには、マウス、ビットマップディスプレイ、アイコンなどが実装されていた。Windowsの原型なのである。というか、Windowsは模倣品である。ゼロックス社は、コンピュータサイエンスの発展のため敢えて特許としなかったのである。

商品化されたのは遅かった。1981年にゼロックス社は、Starワークステーションを発表した。富士ゼロックス社は1982年からJStarとして販売を始めたのである。私が入社した年だ。

JStarは憧れだった。JStarの仕事がしたい。社内公募で、JStarの部門に移った。はじめは、SP(スペシャリスト)つまり営業とSEの中間の職種から始まり、後にSEとなった。

1986年「短歌研究」に発表した「スモール・トーク」30首は、XEROXのオブジェクト指向言語の名前。

SEという自己認識を詠った作品は「ハルオ 3」である。初出は、同人誌「フォルテ」3号(1989年2月刊行)である。

初出のタイトルは「HAL-O 3」である。

 
 言葉ではない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ラン! 
 

!!!!!!!!!!!! これはエコーテストで表示されるもの。
イーサネットの通信チェックですね。 

 1001二人のふ10る0010い恐怖をかた101100り0

当時は、記号短歌と言われたりした。ぼくにとっては、リアリズムの歌だけれど、理解されることはなかった。
「HAL-O 3」はコンピュータ/ネットワーク環境を意識の問題として詠った最初の現代短歌だと思っている。

「HAL-O 3」を書き上げたとき、興奮して紫苑ちゃんに電話した。
「今までにない短歌を経験できる」と言って。
紫苑ちゃんは「あ~、やめて~」とか言ってたな。
ぼくのその類の自己肯定的発言を聞かされる被害者の一人だったからな。

まだメールも携帯もない時代だった。

shineshine

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