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2010年6月18日 (金)

坂井修一に

きょうは、ひと言、おめでとうを言うために、迢空賞の授賞式パーティに。
仕事の関係で、東京會舘に着いたのは、7時過ぎだった。

すこしさがして坂井修一を見つける。
「おめでとう」と言って、握手。
「雲の上の人になったなあ」
「いつもそう言う」

20代のころからのつきあいである。
名古屋に来たときには連絡をくれて、錦あたりで飲んだりした。
筑波の家にはいちどおじゃましたなあ。
よねちゃんの手料理を自分でほめていたな。
20代のころも50代になった今も坂井修一は坂井修一である。
 
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『望楼の春』より



 東大卒とはいへなんとはぐれもの斎藤茂吉もわれもうなぎ恋ふ

 へべれけの友となほ呑みおもへらくへべれけてふは甘やかなりや

 われといふこなごなのもの繕ひてけふありきいまに繕ひきれず

 どんどんと捨ててゐるわれ「どんどん」は顔も脳みそも捨てるほかなく

 ぼろぼろになればなるほどほほゑむぞ公衆便所に座つて立つて

混沌。そこには既にある種の安定がある。
だから坂井修一の世界を混沌と呼ぶのはためらわれる。

今なお、崩れ、ぼろぼろになり、そして再生に向かう。
そんなダイナミズムがこの歌集にはあり、はらはらしながら読むのである。「はぐれもの」「へべれけ」「こなごな」「ぼろぼろ」という言葉は、作者の現在の意識を象徴していよう。

文体は重厚かつ沈鬱で華やぎさえ感じられるが、坂井修一は、成熟には向かっていない。それは文学にとって良いことではないか。どうやら成熟と豊饒は別ものらしいのである。

 「坂井さんいつも見てます」さう言ひて席たちしひといまもおそろし

地下鉄車輌の隣席の人が偶々自分の歌集を読んでいたという場面である。神ではない無名の人がいつも見ていることの底知れぬ怖ろしさを歌っている。それは無関係だった世界が突如自意識に食い込んでくる衝撃なのである。

他者は兇器である。集中最も印象深い歌であった。

満月

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